今朝、テレビをつけたら国木田独歩の『武蔵野』に触れることができた。
作品が描く情景は心地よく、ああ、なんて清々しい朝なんだろう。
当時、独歩はツルゲーネフの『あいびき』(二葉亭四迷訳)を引用していると解説があった。ロシアの白樺の林も武蔵野の林にも共通の自然美を感じたと。
世界各地で起こっている紛争は、美しいものを美しいと感じる世界中の人の心に反している。美しいものをどうか壊さないで。
先日『画の悲み』(国木田独歩×miya 文研出版)をAさんから頂いた。
絵があることで、子どもたちも手に取りやすいだろうと思うし、
miyaさんの絵は今の子どもたちにすっと受け入れられるだろうと思う。
しかし、だからこそ残念に感じてしまう。
二人の少年の顔や体つきが似ているし、文とのイメージが違うように感じる。
また、岡本と志村が自転車の二人乗りの場面があることにも悲しくなる。
二人は連立って学校へ行ったり、画板を携え野山を写生して歩いたり、
七里の途を草鞋がけで歩いたとはあるが、
自転車に乗ったという文はどこにもない。
違法である自転車の二人乗りの場面をわざわざ児童書に描く必要があったのだろうか。
国木田独歩だけに腑に落ちない。